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忌部の里

今朝、徳島から帰ってきた。

大麻と藍染めと粟の国、忌部の里からだ。

仕事上、日本は津々浦々、おそらく4周近く廻っているのだが、フィールドワークで徳島を訪れたのは初めてである。

東京駅を21時にでる夜行バスにのり、ほとんど寝がえりもうてずに、ツタンカーメンみたいな寝姿で約10時間。

朝の6時過ぎに徳島駅。

すげー

昨年の青春18きっぷに続き、姿勢はツタンカーメン風ではあるが、かなり格安で日本を旅できるとは、バックパッカーでなくともハッピーな時代だ。

勇志たちがそろい、大麻比古神社に参拝し、みなで、麻と自分たちのことを数時間に及び考える。

その後、知人たちとともに、自給自足を行っている方たちと合流。


自分が思考しているもの、日常に必要なものをすべて、自分の手から作り出すということに、情けないほどに圧倒される。





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日本の麻を巡る旅がはじまった。


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海民の末裔

 海流を利用して移動してきた民は、もちろん忌部氏だけではなかった。日本の縄文人たちはアリューシャン列島やアラスカ沖を越えて、北米から南米まで移動していた。その証として、例えば日本で採掘された黒曜石の矢じりが北米で発見されたり、南米のシカン帝国の黄金文化の一部が日本の東北の縄文文化と酷似していたという話もある。

氷河期に現在のマレーシア付近に存在したスンダランドと呼ばれる陸地が、紀元前12000年から紀元前4000年くらいの間に起こった海面上昇によって消滅し、そのときに脱出した人々が、太平洋の多くの島々へ船で漕ぎ出し、その末裔が現在のミクロネシアやポリネシアの人々だということが言語学的にもわかっているそうだ。それらの人々の一部は、黒潮に乗り、八重山諸島や奄美、小笠原、そして九州の霧島から上陸し、日本の森の中を北上していったのではないかと言われている。

世界の洪水神話や古代日本の神代の話のベースには、このような出来事も影響しているのだろう。

 ところで、ミクロネシアのマーシャル諸島はアメリカが水爆実験を行い、その後60回以上も原爆実験を繰り返している。最近では弾道ミサイルの迎撃実験の場所として使われ、島の人々は辛い人生を強いられているようだ。

フランスも南太平洋で原爆実験を行い、南の楽園と彼らが呼ぶタヒチなどでも現地の人々への待遇が問題になっているようだ。

 欧米世界では、太平洋は大航海時代に彼らが「発見」した地域であり、ただただ大きな海原があるだけと考えているが、南太平洋の人々の感覚は違う。ポリネシアやミクロネシアの人々は、古代から太平洋をひとつの海洋国家と考えているのだ。

 そんな話をツバルの人たちに聞いたとき僕は、今までとはまったく違う地球のイメージを思い浮かべた。

そして、日本もその中のひとつなんだということに気づいたとき、大きな繋がりの中にいることへの安堵を感じた。

謎の呪術集団 忌部

古代天皇家に使えた呪術師集団には、二つの大きな流れがある。

そのひとつは中臣(なかとみ)氏である。中臣氏は大化の改新以降、急激に力をつけ、中臣鎌足をはじめとして常に権力の表舞台で活躍しつづけてきた。

そして、もうひとつの流れが、忌部(いんべ)氏である。

彼らは中臣同様に天皇とともに古代日本に現れ、司祭として日本の神事を行ってきた。

現在でも伊勢神宮をはじめ、主要な国家神事の裏方として、常に忌部氏の姿がある。

かれらは鳥と船と石をキーワードとする集団であり、麻とも大変ゆかりが深い。

黒潮をはじめ、地球上のあらゆる海流や気流を使いながら、ダイナミックに移動し続けてきたと考えられる。

忌部氏については個人的に以前から大変気になっていたのだが、今回、忌部ゆかりの土地である徳島へ取材をかねて行くことになった。

そこで、徳島で忌部の研究をしている林博章氏の「日本の建国と阿波忌部」という本を読み始めた。


不思議旅行案内 長吉秀夫-忌部本

これが、実に詳細に研究されており、かなりのボリュームである。

著者の林さんは地球環境や環太平洋の研究を行いながら忌部の研究に深く入っていったようだ。

一度、林さんの講演会の映像を拝見したが、忌部についての話が次々と繰り出される様子に圧倒されてしまった。

今回は、フィールドワークの最後に林さんとお会いできるのではないかと今から楽しみにしている。

古代日本から地球全体を見渡すとどんな風景がみえるのだろうか?

街の灯

今週1週間 中野駅北口の昭和新道商店街で『メロディアスナイト』というイベントが行われている。
$不思議旅行案内 長吉秀夫-メロディアス
中野で開催されている催しの一環だそうだが、『メロディアスナイト』は、北口界隈の飲み屋に、「流し」が出現し、ほろ酔いのお客さんのリクエストにこたえて、様々な曲を弾き語りでお応えするという前代未聞のイベントだ。
実はこれを発案したのは、僕の幼馴染の親友だ。彼や僕は、生まれも育ちも中野で、小学・中学の学区のメインは、中野ブロードウェイ周辺だ。このイベントが開催されている場所も、ブロードウェイの隣なのだが、彼を含め、僕の幼馴染には、この界隈の飲み屋街の倅や娘が多い。中野界隈は、その昔は中野スパイ学校と呼ばれていた陸軍中野学校があり、戦後は中野警察大学があった。新宿の隣にあり、軍の主要施設もあることから、昔からこの土地には武蔵野でありながら花街もあり学生や売れない文士や芸術家が多く住んでいた。最近映画化された太宰治の「ヴィヨンの妻」の舞台も中野である。

昭和の時代の中野界隈は、銀座や新宿で収まりきらない、しかし、家庭へ持って帰れない欲望が、なんとなくゆっくりと燃やされていくような街だった。その名残は、昭和30年代生まれの僕たちの記憶にもなんとなくのこっている。
小学校の時の友達の誕生日会に招待されると、彼のお母さんが経営しているバーで、友達はみなカウンターに座って、バースデーソングを歌って祝ったり、放課後はブロードウェイのゲームセンターでフリッパーゲームをしたりといった感じだった。当時の中野は、新宿や渋谷のような繁華街ではなかったが、大人たちの遊べる場所は一通りそろった街だった。
当時の中野には、多くの「流し」がいた。
いや、みなさんは流しをご存じだろうか?
流しとは、ギター片手に飲み屋を一軒一軒回りながら、お客さんのリクエストにこたえて、1曲いくらで歌をうたうシンガーのことである。飲み屋に有線もカラオケもない時代の昭和のはなしである。でも、今と変わらず当時の日本人も歌が大好きだった。昭和の時代、酒を楽しむ人々の横にはいつも流しがいた。

そんな記憶を辿って、僕の友人が企画したのが、、『メロディアスナイト』だ。今日、その会場となっている中野の飲み屋街「昭和新道」へ寄ってみたら、店の中へ突然ギターをもった流しが登場し、演歌やニューミュージックや最近の歌まで歌ってくれる生の歌声が最高にたのしかった。
中でも「コーヒーカラー」 というユニットのヴォーカルであるパリなかやまさんも参加しているのはうれしかった。
彼は『人生に乾杯を!』という歌を歌っている。僕は一昨年この歌をタクシーのラジオで聞いてファンになったのだが、まさかその歌声を、飲み屋の片隅で生で聴くことができるとは思わなかった。
お時間のある人は、是非、今週、中野北口の昭和新道商店街に一杯ひっかけに来てください。
楽しくて、懐かしいですよ。ご夫婦でデートもいいかもしれません!



満員御礼

昨夜のコンサートは、開場前から雨が雪に変わり、客足も心配していたけど、おかげさまで満員!

月の203号室の二人も、初めてもホールコンサートで、しかも満員のお客さんの前で歌いことができて、今後のステップアップのきっかけになったはず。

お越しいただいた皆様に感謝します。

月の203号 室

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今日は 東京文化会館で 月の203号室 という 男の子達のデュオのコンサートです
僕は制作してます

詞もメロディーも胸キュンな感じで 女の子や恋人同士にぴったりですよ

19時開演です
是非どうぞ

LOVE & THANKS

波動の研究家で、水の結晶と人間の波動の関係についての本でも有名な江本勝氏の主催する雑誌「LOVE & THANKS」2月号で取材をうけました。

「麻をみつめる」という連載なのですが、この雑誌は自然や人の心や宇宙の働きなどについて、優しくかたりかけるような雑誌です。この号には ”水と平和”などについて編まれています。

僕はインタビューの中で、麻の有用性のなかの一番大切なこととして、大麻のもつ精神変容作用について語りました。麻繊維の素晴らしさや土壌改良作用などの表面的な麻の特性ももちろん素晴らしいけれど、大麻の持つ精神変革作用から導かれる神秘の世界こそが大切であり、それがなければ世界中の祭事には使われず、これほどまでに麻と人類は一緒にいなかったのだろうというような話をしました。是非読んでくださいね。


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3月4日は下北沢の気流舎で「麻と生活」という会に出演します。

ここは2回目なのですが、小さな居心地のいい不思議な本屋さんです。よかったら遊びに来て下さいね。

気持ちいいですよ。

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「麻と生活」

人類と麻(アサ)の歴史はとっても長く、
実を食べたり、油を取ったり、繊維を編んで
布をつくったりと、古代から密接に
暮らしのそばにありました。

あまりに有用だったので、二十世紀に入り
繊維から石油へと産業転換を図ったアメリカが
麻の生産を規制する戦略をとり、日本における
大麻取締法の成立もその一環だったと
指摘されています。(長吉秀夫『大麻入門』幻冬舎新書)

石油に依存しない循環型社会を構想するにあたって
麻の可能性が再考されつつあります。

人類と、麻の関係を
もう一度考えてみましょう。


…ってまぁそんな難しいこと考えなくても
ライヴもあるので楽しく語りましょう。
奈良さんたちがまたやってくれます。

*** 麻と生活 ***
2010年3月4日(木)19時半@気流舎
チャージ1000円+ドリンクオーダー/投げ銭歓迎
座談会:丸井英弘(弁護士)・長吉秀夫(『大麻入門』著者)
ライブ:奈良大介(観音バンド/サヨコオトナラ)

綱島でイベント

久しぶりに麻のイベントに参加します

2/21(日)
「麻ひらき」観音バンドTalk & Live !
6Pm.Open / 7Pm.Start ¥2500(1ドリンク付き)

場所は綱島のナマックカフェ

僕は初めてなんだけど、いい雰囲気のお店だそうで、楽しみです

よかったら遊びに来てください



梅は~咲いたか

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近所の紅梅が咲き始めた。駅への道すがらにある「見越しの梅」である。

現在も中国やその文化の影響を受けている国々では旧暦の正月である旧正月を祝う。昔の日本もそうだった。

新春とは、春を迎える季節。ちょうど今頃の季節。

今年の旧正月は2月14日。ということは、今が年の瀬ということである。

正月とは、年神様を迎えて、すべての命の再生を祝うハレのマツリ。だから、昔は正月にみんなで一緒に歳をとる。「満○歳」という概念はなく、皆、かぞえで歳を勘定した。もちろんそれぞれの誕生日という概念よりも、この正月が全員の誕生日となる。そう考えると、旧正月は、厳かであり、実に目出度い日だったのだろう。

ところで、平安以前の日本には、花を愛でるという習慣は無かったという。その代わりに日本では、生き生きと茂る青葉の中に美と命を見出していた。神にささげる榊(さかき)とは、本来植物の名前ではなく、「栄える木」のことだったという。特に、1年中、葉を茂らす常葉樹である松や杉、そして、一斉に伸びていく竹や麻などは、生命の象徴であり、信仰のための寄りしろでもあった。だから、今でも年神様への目印として、正月には門松を飾る。

平安時代になると、中国の宮廷文化とともに白梅を愛でる習慣が伝えられた。貴族たちは皆、白梅を庭に植え、鑑賞するようになる。それから少したって、紅梅も愛でるようになったそうだ。

もちろん、これらの文化の文脈は貴族階級の歴史である。

しかし、こんなことひとつを見ても、文化というものはいかに他からの影響を受け、紡がれているのかがわかる。その殆どが外部からの情報をなぞっているのだろう。しかし、何万年と紡がれてきた膨大な情報の中で一生を過ごすなかで、ほんの一瞬でも自分の中の煌くオリジナルな感性が人々に伝えられたら、どんなに幸せだろうか?

その瞬間をめざして、人は感じ、思考し、伝えようとしていく。

マイケル・ジャクソンは「This is it」で、スタッフやキャストを前にして、『今まで誰も見たことの無い才能をこのステージで創り上げよう』と呼びかける。新たな感性は、人類共通の宝だ。そして、アーティストたちは、それを産み出すことに、文字通り、命を賭ける。いや、それは、アーティストだけではない。すべての人間にとって、オリジナルな自分を、自分の存在や愛するものへの想いを伝えることが、この世での命題なのだろう。

でも、そう簡単にはいかない。日々生きていく中で、少しでもそのオリジナルな真実へ近づくことができるか‥

それが、新春の僕の課題でもある。

書いてます

秋からすっかりご無沙汰しています

次の本の企画などしていました。

内容はまだ詳しくはお伝えできないのですが

なかなか面白い本になりそうですよ