街の灯 | 不思議旅行案内 長吉秀夫

街の灯

今週1週間 中野駅北口の昭和新道商店街で『メロディアスナイト』というイベントが行われている。
$不思議旅行案内 長吉秀夫-メロディアス
中野で開催されている催しの一環だそうだが、『メロディアスナイト』は、北口界隈の飲み屋に、「流し」が出現し、ほろ酔いのお客さんのリクエストにこたえて、様々な曲を弾き語りでお応えするという前代未聞のイベントだ。
実はこれを発案したのは、僕の幼馴染の親友だ。彼や僕は、生まれも育ちも中野で、小学・中学の学区のメインは、中野ブロードウェイ周辺だ。このイベントが開催されている場所も、ブロードウェイの隣なのだが、彼を含め、僕の幼馴染には、この界隈の飲み屋街の倅や娘が多い。中野界隈は、その昔は中野スパイ学校と呼ばれていた陸軍中野学校があり、戦後は中野警察大学があった。新宿の隣にあり、軍の主要施設もあることから、昔からこの土地には武蔵野でありながら花街もあり学生や売れない文士や芸術家が多く住んでいた。最近映画化された太宰治の「ヴィヨンの妻」の舞台も中野である。

昭和の時代の中野界隈は、銀座や新宿で収まりきらない、しかし、家庭へ持って帰れない欲望が、なんとなくゆっくりと燃やされていくような街だった。その名残は、昭和30年代生まれの僕たちの記憶にもなんとなくのこっている。
小学校の時の友達の誕生日会に招待されると、彼のお母さんが経営しているバーで、友達はみなカウンターに座って、バースデーソングを歌って祝ったり、放課後はブロードウェイのゲームセンターでフリッパーゲームをしたりといった感じだった。当時の中野は、新宿や渋谷のような繁華街ではなかったが、大人たちの遊べる場所は一通りそろった街だった。
当時の中野には、多くの「流し」がいた。
いや、みなさんは流しをご存じだろうか?
流しとは、ギター片手に飲み屋を一軒一軒回りながら、お客さんのリクエストにこたえて、1曲いくらで歌をうたうシンガーのことである。飲み屋に有線もカラオケもない時代の昭和のはなしである。でも、今と変わらず当時の日本人も歌が大好きだった。昭和の時代、酒を楽しむ人々の横にはいつも流しがいた。

そんな記憶を辿って、僕の友人が企画したのが、、『メロディアスナイト』だ。今日、その会場となっている中野の飲み屋街「昭和新道」へ寄ってみたら、店の中へ突然ギターをもった流しが登場し、演歌やニューミュージックや最近の歌まで歌ってくれる生の歌声が最高にたのしかった。
中でも「コーヒーカラー」 というユニットのヴォーカルであるパリなかやまさんも参加しているのはうれしかった。
彼は『人生に乾杯を!』という歌を歌っている。僕は一昨年この歌をタクシーのラジオで聞いてファンになったのだが、まさかその歌声を、飲み屋の片隅で生で聴くことができるとは思わなかった。
お時間のある人は、是非、今週、中野北口の昭和新道商店街に一杯ひっかけに来てください。
楽しくて、懐かしいですよ。ご夫婦でデートもいいかもしれません!