梅は~咲いたか | 不思議旅行案内 長吉秀夫

梅は~咲いたか

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近所の紅梅が咲き始めた。駅への道すがらにある「見越しの梅」である。

現在も中国やその文化の影響を受けている国々では旧暦の正月である旧正月を祝う。昔の日本もそうだった。

新春とは、春を迎える季節。ちょうど今頃の季節。

今年の旧正月は2月14日。ということは、今が年の瀬ということである。

正月とは、年神様を迎えて、すべての命の再生を祝うハレのマツリ。だから、昔は正月にみんなで一緒に歳をとる。「満○歳」という概念はなく、皆、かぞえで歳を勘定した。もちろんそれぞれの誕生日という概念よりも、この正月が全員の誕生日となる。そう考えると、旧正月は、厳かであり、実に目出度い日だったのだろう。

ところで、平安以前の日本には、花を愛でるという習慣は無かったという。その代わりに日本では、生き生きと茂る青葉の中に美と命を見出していた。神にささげる榊(さかき)とは、本来植物の名前ではなく、「栄える木」のことだったという。特に、1年中、葉を茂らす常葉樹である松や杉、そして、一斉に伸びていく竹や麻などは、生命の象徴であり、信仰のための寄りしろでもあった。だから、今でも年神様への目印として、正月には門松を飾る。

平安時代になると、中国の宮廷文化とともに白梅を愛でる習慣が伝えられた。貴族たちは皆、白梅を庭に植え、鑑賞するようになる。それから少したって、紅梅も愛でるようになったそうだ。

もちろん、これらの文化の文脈は貴族階級の歴史である。

しかし、こんなことひとつを見ても、文化というものはいかに他からの影響を受け、紡がれているのかがわかる。その殆どが外部からの情報をなぞっているのだろう。しかし、何万年と紡がれてきた膨大な情報の中で一生を過ごすなかで、ほんの一瞬でも自分の中の煌くオリジナルな感性が人々に伝えられたら、どんなに幸せだろうか?

その瞬間をめざして、人は感じ、思考し、伝えようとしていく。

マイケル・ジャクソンは「This is it」で、スタッフやキャストを前にして、『今まで誰も見たことの無い才能をこのステージで創り上げよう』と呼びかける。新たな感性は、人類共通の宝だ。そして、アーティストたちは、それを産み出すことに、文字通り、命を賭ける。いや、それは、アーティストだけではない。すべての人間にとって、オリジナルな自分を、自分の存在や愛するものへの想いを伝えることが、この世での命題なのだろう。

でも、そう簡単にはいかない。日々生きていく中で、少しでもそのオリジナルな真実へ近づくことができるか‥

それが、新春の僕の課題でもある。