日本の大麻裁判のさきがけです | 不思議旅行案内 長吉秀夫

日本の大麻裁判のさきがけです

芥川耿氏裁判 冒頭陳述



解説:

 厳しい取締りが行われていた1970年代の日本でも、マリファナの存在が認知されると同時に、大麻取締法による検挙者数は増加していった。

 その数は、1966年には176人だったのに対し、70年には487人、75年には733人、79年には1070名となっている。乾燥大麻や大麻樹脂の押収量も増加している。しかし、アヘンやヘロインなどの麻薬は減少に転じていった。ただし、ヘロインの使用者が減少していたとはいえ、覚せい剤の検挙者は毎年5000人前後であり、年々増加傾向にあった。また、ヒッピーブームの影響により、幻覚剤であるLSDの使用も1972年、73年の2年間に爆発的に増加する。そんな中で、大麻についての情報はマスコミを通して知られていく。それと同時に、大麻の取締りに疑問を呈する人々も現れたのだった。

 1977年、京都の芸術家の芥川耿氏が自宅で栽培した大麻を吸引し逮捕された。その裁判において芥川氏は「大麻取締法は憲法違反である」と訴え、法廷闘争へと発展した。毎日新聞などのマスコミや市民運動家など様々な人々を巻き込んだこの裁判は、日本における大麻解禁運動の始まりと言ってもいいだろう。

(幻冬舎新書「大麻入門」より)





冒頭陳述

 現行法として大麻取締法が生きている以上、その法に触れたらこりゃパクられてもしゃあないんですが、その法律の立法根拠が私にはさっぱりわからないので、なぜ私が悪かったのかはっきりお教えいただきたく思います。大麻と麻薬は世間一般ではごっちゃにされている傾向がありますが、大麻の麻と麻薬の麻とがたまたま同じなので、ほな、まあこの辺でいこか、というのでは困ります。

  今年は芸能人が大麻でたくさん捕まったんで、ジャーナリズムもえらく騒がしかったですな。大麻の本当の意味はどういうことか理解したいと思っている人もたくさんいると思います。またその法律に触れて渦中にある人も多いことですし、野次馬根性でいったいどんなもんや、と思ってはる人たちにもはっきりさせたいと思います。

 大麻を麻薬と決めてかかってる人の見解は不幸なことではございますが、正確な判断や情報、理性的な議論がなされたうえでのことではないので、ただ伝聞とかその辺のところで判断されては困る。そこをよろしゅうお願いします。



 麻と人間の関わりについてですが、これはどっと歴史も古く、最も古い文献では中国の神皇皇帝の時代に「草の本」というのが書かれております。これは紀元前2734年のことやそうですが、その頃から人間との関わりがあって薬として使われてきたわけです。

 その麻の原産地はヒマラヤの裏の方だそうで、そこからインドから中近東、ヨーロッパへと入り、ヨーロッパへ入る時はナポレオンの軍隊が持ち帰ったと奇異と聞いとります。

 日本でも、これまた古い文献、「古語拾遺」には、神武帝の頃に阿波の国、つまり四国徳島に麻植郡という所があり、そこで麻などの栽培に携わっていた忌部氏と呼ばれる人びとが一族を引き連れて肥沃な土地を求め房総半島の方へ麻を広めたと出ています。現在でも房総の方を安房の国と申しますのはその名残りかと思います。

 また有名な「古事記」にも天の岩戸のところにちらっと麻が出てきます。辞典を引いてみますと、なんとこれが”お伊勢さん授かる幣”ということで、ヘェーとびっくりしております。



 まあ、神事と麻との関わりはいろいろありまして、今でも田舎のお祭りには麻にまつわる話がたくさん出てきます。神宮司庁からは今でも大麻暦というものが出ています。

 麻ちゅうもんはご存知の通りその茎からは繊維を取り、また茎や種からは油を絞ってそれを大麻油と申しまして、食用、燈明の油として使用しておりました。

 このようにみてみると、麻と日本人とは切っても切れんものがあるんとちゃいまっしゃろか。

 明治になりまして薬事法ができましたが、それは御専門の方がたばかりおいでになりますので釈迦に説法みたいなもので恐縮ではありますが、その時にできた法律はインド大麻草の輸出入、栽培に関した問題だけで国産の麻に関しては全く触れず、そのインド大麻草が鎮静剤、疲労回復剤として使用されておりました。そして戦後、大麻取締法が立法されました時に、どういうわけか昨日まで効いていたのがコロッと効かんようになり、いつの間にか薬事法から消えとりました。

 戦後、大麻取締法ができましたいきさつは、何しろ敗戦後のことでアメリカの占領下でアメリカの法律が強かったのですから、それがそのまま日本に上陸してきても無理からんことと思います。

 そんならそのアメリカの法律はどうしてできたかと申しますと、アメリカには1914年までは麻薬取締法がなく、1914年にできたそうです。しかしそれはアヘンなどに関するもので、マリファナについては無関心だったようです。

 1920年頃には南部のメキシコ系アメリカ人が大麻を吸っていたという記録があるようですが、ところが1920~32年までは禁酒法がしかれていた。そして1932年にルーズベルト大統領が、

「こりゃ何とかせなあかん」

 ということで解禁されたのです。ところが喜ぶ人もぎょうさんいはりますが、どういうわけか困る人も結構いはりまして、一体誰が困ったかといいますと何と今まで禁酒法を取り締まっていたお巡りさんで、その対象がないと仕事がなくなる。人員整理なんてなるとえらいこっちゃ、と考えたひとりのお巡りさんは使命感に燃えはった。この人が悪名とどろくハリー・アンスリンガーはんで、当時南部の方で奴隷の人たちが毎日の労働の疲れをいやすためにマリファナをやっていたのに目をつけ、なまけ病になる、狂暴になる、というて回ったんですわ。そりゃあ、手かせ足かせでこき使われてたら狂暴にもなりますわな。

 おかげでとうとう1937年に立法化されてしまいましたがな。それが科学的根拠とか有害なんかどうか、ということは一切問われずにできてしもて、ほんま口は災いの元ですな。

 それをアメリカは占領下の日本にもそのまま持ってきて、押しつけたんですわ。

 結局、昭和23年の立法の時、相も変わらず科学的根拠を調べもせず、ただ輸出入と栽培に関する問題だけで衆参両院を通過してしもて、現在も生きている。そりゃ人間が生きてゆく上に法律も必要かと思いますが、人間も自然の一点であって、自然の法則から離れたところで時の権力者が御都合主義で法律を作ったら困ります。

 法があるから悪い

 悪いから法がある

 法があるから取り締まる

 ではイタチごっこで解決にならん。

 独断や偏見で有害と決めて現在も取り締まりの対象とし、この法律のために多くの人が罪人になっているのが日本の現状です。

 果たして大麻取締法が本当に必要なのかどうか、マリファナは有害であるのかどうか、それをはっきりさせて欲しい。その立法根拠をはっきりさせていただきたいというのが、私の一番大切な論点です。



 私が中学校の頃、私の家は金閣寺のそばにあり、歩いて同志社に通っていました。その時、なんと麻畑の中を通って行くというわけで、その時分は麻がそんなにいいもんだとはつゆ知らず、えらく早く大きくなる草だとよく覚えております。

 まあ、麻畑ちゅうもんは昔は日本中どこにもあったんで、年配の方ならよく御存知だと思います。ちょっと田舎の方へ行きますと、自宅で麻を植えて、家の軒下にはいざり機を置いて、おばあちゃんがガチャコンガチャコンと布を織っていた風景も御記憶のことと思います。

 私は友人にたまたまマリファナを知っている男がおりまして、栃木の山奥へ帰って親父さんにそれを勧めたんです。

 「これは素晴らしいもんやからぜひ試してみてくれ」

 「そうか、そんなにいいもんか?」

 親父さんは一服プカーときめると、首をかしげ、おかしな顔をして、

 「これは麻とちゃうんかい?」

 と言ったということです。その親父さんいわく、

 「これは昔から木こりが朝、山で切り株に座って一服きめるのを麻酔いというて、今始まったもんやない」

 私もこの話を聞いて、なるほどと感心したりびっくりしたものです。”あまりにも日常的なことは記録にも残らない”と、柳田国男先生もおっしゃっておられます。

 私はどういうわけか大変厳格な家庭で育ちまして、今でこそこんなけったいな格好をしとりますが、マリファナを知りますまではごく普通のネクタイをしめたような生活をしとりました。

 それが3,4年前に初めてマリファナを人から勧められ一服やってみたんですが、これがどんな変化があったかといいますと、なんと目は冴えるは、頭はビンビン、こんなけったいなもん一体なんやと思いました。初めてやった人ならこれは麻薬やないかと思われても無理からんことやと思います。

 私はマリファナを体験するまではすごくお酒が好きやった。酒ちゅうもんは酔うてきますと口にうまいもんで、つい度を過ごします、となかなかコントロールが難しいもんですな。それが体に残りますと翌日はしんどうてしんどうてしゃあない二日酔いになります。酒を御存知の方は一度は経験のことと思います。

 それに比べてマリファナの場合は酔うてきたなと思うとストーンと冴えて、今はもうこれ以上いらん、という気分になってきます。そして三、四時間もするとまた元の状態にストーと戻ってくるので度を過ごすということが考えられなく、二日酔いの状態や体に残るちゅうこともありません。これは、酒よりこの方がええで、と思ってる間にだんだん酒を要求しなくなってきたんです。マリファナにはアルコールを中和する解毒作用があるんかも知れまへんな。

 またマリファナをやっている時は、”物の存在感”がすごく感じられて、実存が明解になってきます。そして過去の煩雑な意識をコロッと切り捨てることができ、一瞬一瞬が非常にはっきりしてきます。それは新しい意識になれるということでもあり、驚きと大発見の連続です。私はこの状態を瞬間以外健忘症と名づけています。物事に対して意識の集中ができるわけですねん。

 私はたまたま美術に関した仕事をしていますが、デッサンやスケッチをする事が多く、今まで見逃していたものがはっきり見えてきます。こんな素晴らしいことはない。あるものはすみずみまで見えるけど、無いもんは見えん。

 マリファナをやると幻覚が起るんやないかとよく言われますが、私は一度も幻覚というものを体験したことはありません。



 マリファナちゅうもんは麻を乾燥した葉を手でもんで、粉にしたものをキセルやパイプに詰めたり紙に巻いて吸うんですが、自然そのままのもので精製された薬品とは違います。先ほども申しましたが、覚せい剤やヘロインとは別のもので、そこんとこをゴッチャにして丼勘定してもろたら困ります。

 そのマリファナのやり方ですが、一応専門用語ではセットとセッティングと申します。セットというのはその人その人の精神状態をいうもので、個人のパーソナリティーに深く関わってくるんやけど、セッティングというのはその時の環境や雰囲気、つまりムード作りですな。

 これが大切で、まあ酒も一緒で腹がたっていらいらしてる時に酒を飲んだら、隣にいる人を捕まえてすぐにケンカをしますわな。酒というのも”白玉の歯に滲み透る秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり”なんて申しまして、チビチビ味わってこそええもんとちゃいましゃろか。

 まあ、そんなわけで一概にはいえんのですが、マリファナの研究をするにしても政府がそれを禁止しているので、正しい使用法を研究して広めたいと思てはる人もたくさんいてはるはずですけど、それができへんのが今日の日本の現状やないかと思います。



 次にマリファナの作用についてですが、私も学者やおへんので詳しいことはわかりませんが、人間の脳には大脳と小脳があるそうで、大脳の部分は現在の社会生活をしていくための社会秩序とか計算とか諸々の知識に関わる部分やそうです。小脳の働きは人間も本来、動物であって、その動物に自然にそなわっている五感、すなわち視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚を司っておるようです。

 その大脳や小脳によって得た感覚、思考、意欲、感受性というものすべてが意識です。シャープな感覚を磨くことによって生まれるのを第六感といい、その第六感が意識をさらに明解にし、論理を超えたところでとっさの判断をつける。いわゆる”勘”ですな。そのすぐれた勘を開発することによって普段の生活感覚が新鮮なものとなり、新しい感覚が生まれます。

 それにひきかえ、意識が鈍ればなんにも新しいものは生まれてきまへん。いわれるままにしか動くことができない状態が出てきます。世の中が発達し過ぎてより便利な時代になってきたため、人間が開発した道具に振り回され、便利になればなるほど人間本来の動物としての末端感覚が退化してくるわけですわ。

 それが都市化された人間社会の中でますます激しくなり、物に囲まれた生活に慣らされ、例えば現在車に乗っていたとしても、新車が出たらそのカッコよさに魅せられたり宣伝に乗せられたりして、まだ使えるにもかかわらず道具としてではなく、虚栄心を満たすために管理社会の策略に乗せられてしまう。

 今世紀に入りアメリカ管理社会はその極に到り、コンピューターが人間を支配し、人間不在の中で何が起ったか。その体制に対しサブカルチャーとしてひとつのマリファナ文化が形成されたのも自然の成り行きとちゃいまっしゃろか。

 何といってもマリファナが大流行したのはベトナム戦争の時で、その戦争における緊張感、緊迫感、恐怖感などから解放されたいという意識がマリファナを求めたんですわ。そのため、向精神剤を使えば解放された意識は物質文明に毒された環境から本来の姿を取り戻し、それが管理社会への反発となって現れてきたのです。ボタンひとつで何でも与えられる現代社会の矛盾が明確になってきよったんですわ。そこで個人が新しい意識に目覚めることにより、つまり自覚があれば現代社会との共存は可能なはずですねん。

 だからマリファナの役目は、恐怖や抑圧などから解放されたいという意識の”橋渡し”、つまり触媒作用ですな。例えば結婚したと思てる人に縁談を持ってくる仲人さんがいはりますな。その仲人さんがいなかったら出会わなんだかも知れないふたりが結ばれる結婚によって、まあ幸福な結婚生活が営まれるわけです。まあその仲人さんがマリファナというわけで、その触媒作用によって意識の変化が生じるんです。人間はみんな意識の変化を求めてるんです。その方法として酒を飲んだり旅に出たり、また精神集中するために座禅なんかしてそれを求めるんです。




 古今の文明もこの意識の変化、拡大があったなればこそ、人類の素晴らしい歴史が築かれたんですわ。それがなければ世界の深遠な芸術、哲学、思想は起り得なかったんとちゃいまっしゃろか?

 こういう話がありますねん。

 中国の禅の高僧、洞山禅師(?-996)は

 「如何なるか、これ仏」

 という問いに対して、

 「麻三斤」

 と答えはったそうです。三斤といえばざっと二キログラム。そりゃ二キログラムもやったら意識が醒めて悟ることもできるはずですわな。それはスゴイ!意識が醒めるということは自分を観るということにつながり、「自分とは何か?人間とは何か?」ということが良くわかってくるんですわ。今まで自分にはわからなかったことが明確になり、世界にはいろいろな価値観があり、ひとつの価値観がすべてではないということなどですな。

 コーヒーの好きな人も世間にはぎょうさんいはりますけど、この人たちが昔のヨーロッパに生まれてたら大変なことですね。

 というのも、その頃のヨーロッパではコーヒーが今日の日本におけるマリファナと同じ状況にあって、コーヒーを飲む奴は怠け病になる、狂暴になる、強姦魔になるとかいわれて禁止されたんですが、それが本当ならば、今喫茶店にいる人はみんな強姦魔やないか・・・。

 物事の本質を見極めず、新しいものが出てきたら常に禁止するというのは、為政者たちがままやる手ですわな。個人の価値観を認めないということは、国家が価値観を一定にしてしまうということです。それほど恐ろしいことはおへん。



 私はこの恐ろしい現象を身をもって体験しています。敗戦のため、昭和二十年八月十五日を期して一日で価値観を変えられた日本国民のひとりですねん。

 私はその当時小学校6年生で、1学期が終わり夏休みに入ったのですが、それまではアメリカいうたら鬼畜米英という教育を受け、アメリカ人は頭に角が生えている、人間やないと教えられ、私自身も米軍機の機銃掃射を受けたひとりやから、そういわれたらそう信じるしかなかったんや。それが2学期が始まった途端”1学期までやってきたことはみんなウソ”といわれ教科書を真っ黒に塗りつぶさせられ、

 「みんな忘れてくれ」

 といわれたんやけど、そんなことが簡単に忘れられるか?毎日竹槍を振り回したりど突き回されたのに忘れてたまるか。



 今の権力者もこの現実を身をもって体験させられた人たちであるはずなのに、為政者の椅子に座った途端に忘れてしまはったんやろか。

 今でもこのような法律を生かしといてええんやろか。国が価値観を強制するのはいかに恐ろしいかということを御存知のはずとちゃいますやろか。好き嫌いもあくまで価値観の一種であって、国に決定権はないはずや。人間は所詮ひとりやんか。



 しかし社会生活の中で個人の価値観でもってコミュニケートしたいという気持ちがあるんやけど、その表現方法のひとつとして言葉というものがありますわな。言葉は意志を伝達する重要なポイントを担っているもので、バイブルにも、

 ”初めに言葉ありき、言葉は神なり”

 という教えがあります。

 でも時代が下るにつれて人間の数も増え、より煩雑になり、言葉がなかなか相手に通じないという情況が生じてきているんです。言葉の持つ意味がそれぞれによって違うさかいに相手の本当のところが伝わらへん。

 ところが困ったことに裁判というのは言葉が唯一の道具やから私の本音が裁判官はんに伝わらなんだら裁判やってる意味がないんや。人間は誰しも悪意ではなく、自分が正しいと思っている。意識の中に無意識の偏見が潜んでる。

 そこで中立の立場から両者の言い分を聞き分けるのが裁判官はんのお仕事で、それは大変なことやと思いますけど、どうぞよろしゅうにお願いいたします。過去にも憲法判断による大麻事件がありましたが、それらの判例に捕われることなく、何とぞよろしゅうに御裁量いただきますよう、お願いもうしあげます。