談志師匠との話 | 不思議旅行案内 長吉秀夫

談志師匠との話

談志師匠とは、僕が20代の前半に仕事をさせてもらった。考えてみると、初めてチーフで舞台監督をした最初の現場が師匠のトークショーだった。とんでもない話だが、当時の僕は恐いもの知らずだったのだろう。渋谷のパルコで行われたトークショーは、当時師匠が立川流を作り、落語家以外の人々も師匠のもとに集まってきた、面白い時代だった。80年代初めのバブル時代でもあり、世の中が華やいでいた時代でもあった。
高座ではなく、ステージを作り、洒落た椅子とスタイリストが用意した衣装を着せられた師匠は、窮屈でしょうがなかったのだろう。1回目の公演が終わり、休憩時間に楽屋に現れた人と師匠が喧嘩になり、師匠はそのままプイっと外へ出て行ってしまった。はじめは、皆、暢気に構えていたが、いつまでたってもかえってこない。お弟子さん達は慌てふためき、心当たりを探しに四方八方に散らばって行く。もしもの場合を考えた代替案を演出家と話し合う。話し合うと言ったって、本人がいなければ話にならない。チケットは完売。ゲストで来ていた小朝師匠に話を繋げてもらおうと相談するも、恐れ多くて勤まらないと固辞され、同じゲストで立川流の弟子になっていた山本晋也監督も困っている。結局、新人売出し中だった、パントマイマーの中村ゆうじ氏のパフォーマンスを最初に持ってきて、毒まむし三太夫師匠が中をつないで時間稼ぎをすることに。そんな中、弟子が談志師匠をパチンコ屋で発見し、何とか連れ戻してきた。
「財布を持って行かなかったから帰ってきてやった」といいながら、楽屋の椅子に座る師匠。ゲストも弟子も演出家もプロデューサーも、びびって近寄らない。開演時間が迫っているし、客も満席。誰も何も言わないので、しょうがなく若造の僕が師匠に直談判した。
「客は楽しみに来ているんだから、とにかく舞台に上がってください!」すると師匠は僕を見て、「俺の好きな話をしていいならいいよ。それでいいなら話してやるよ。それから、このヘンチクリンな服は着ないからな。それでもいいか?」と言ってきた。出てくれるなら何でもいい。「お願いします!」と頭を下げる。「わかったよ」と師匠。
開演時間を30分近く押している。会場では裏でトラぶっている様子が伝わり、妙な期待感が充満している。舞台袖でいくら僕がQUEを出しても登場してくれない。僕が諦めた瞬間に何も言わずに舞台に歩いて行く師匠。まったく、とんでもないオヤジだ。
師匠が登場すると、会場は拍手喝さい。師匠は今まで楽屋で起きたことを面白おかしく客に話し、お客さん達は腹を抱えて笑っている。たいしたものだ。
台本を無視して話し始めたのが、ドラッグの話。小朝師匠は引き気味でなかなか話に加われず、突っ込むのは毒まむし師匠と山本監督。「大麻は体に悪くなんか無いんだ」とか、「LSDを沢山飲んですごいことになった」とか、「蚊取り線香を削ってすったら気持ち悪くなった」とか延々話す。客席にはこれも弟子入りした景山民夫が美女を連れて登場し、わざわざ詰まらなそうな顔をして、客席の真ん中を通って途中で退席して大騒ぎになる。とにかくハチャメチャな進行だ。演出家もプロデューサーもびびって調光室に篭って出てこない。挙句に、時間が過ぎても話が終わらない。
袖から終了のQUEを出しても無視。客席に回って手を回しても無視。20時30分終演予定が21時30分を過ぎても未だ話してる。インカムからは、演出家から、早く終わらせるようにと矢のような催促が飛ぶ。「どいつもこいつもふざけやがって」そう思った僕は私服のチンピラみたいな服に着替え、サングラスを掛けて、ジュースのグラスを持ち、舞台上に出て真っ直ぐ師匠の前に向かう。観客は何が起こったのかわからずキョトンとしてる。グラスを師匠の前に置き、マイクが拾う程度の低い声で「ボス、お時間です」とだけ言ってハケてみた。師匠もキョトンとしているが、観客はドッと沸いた。
「へんなガキが裏でウロウロしてんだよ。しょうがねえな。終わりだってよ」師匠のその一言で間髪要れずにエンディングSEを入れる演出家。
終演後、山本監督や、師匠の弟さんの松岡さんに「お疲れさん。よかったよ」と言われたが、何のことかわからず、バラシをはじめる僕。
今考えると何もわからないから出来たことだ。まったくとんでもない。松岡さんが、「うちに来なさい。ゼッタイ来なさい」って言ってくれたけど、結局師匠の所へはいかなかった。
思うと30年近い歳月が流れていたんだなって、昨夜はそんなことを考えていた。
長々とすみません。 談志師匠のご冥福をお祈りします。 合掌。