宇宙で唯一の意志を持つという事 | 不思議旅行案内 長吉秀夫

宇宙で唯一の意志を持つという事

今、家へ帰って来た。早朝から思う処もあり、取材をかねて神社を訪ねて廻った。芦ノ湖畔にある箱根神社と九頭龍神社、江ノ島の弁財天、茨城の鹿島神宮、そして、千葉の猿田神社だ。走行距離は520キロ。久しぶりの長距離ドライブだった。しかし、不思議と疲れはない。多分それは、生命力というものを、強く感じて来たからだろう。それは何も、けっして神がかった力を感じたというものではない。それは寧ろ非常に人間的な生命力だった。それぞれの神社は、奉る神の種類は異なるが、その全てに人間の「生命としての知恵」を感じるのだ。遥か縄文の世から続く、森や海原との共存や、幾千年と繰り返される異民族との出会い。それらは、人々へ強烈な恐怖と多幸感を、繰り返し繰り返し与え続けて行ったに違いない。その度に人々は常に共生することを志したのだろう。それを体現していったのが社(やしろ)だったのではあるまいか。共生というと、柔らかで
譲り合うような印象を感じるだろうが、それは全く違うのだと、僕はこの小旅行から感じた。共生の根底には、利己的で破壊的な、人類の本能が存在しているのではあるまいか。極限ギリギリの自然の中で出会う、異文化や部族。その出会いは、強力な生命力のぶつかり合いだったのだろう。もちろん、強奪や殺戮も行われただろう。しかし、人間同士のぶつかり合いなど、自然の力には及びもつかない。それを実感しながら、人は自らの内に存在する、破壊的で凶暴な人としての本能を封じ込め、そして、その力をプラスへと変換させてゆく力、「生命としての知恵」とも言うべき力を獲得していったのではあるまいか。そして、そのコアに存在している心を、我々は「意志」と呼んでいるのだと僕は思う。
僕たち一人一人には、それぞれにオリジナルな意志を獲得する能力が存在している。それが「ヒト」という動物の力なのだ。この力は、新たな宇宙を出現させる力さえもある。それは既に量子力学という科学の世界でも証明されている事実である。僕たちには、自分だけの、宇宙で唯一の意志があり、それによって、互いの心を一つにするという能力を持ち合わせているのである。唯一の意志を持つ個人は、互いのエネルギーを衝突させ、融合させながら、共生という道を探ってゆく。共生された心のエネルギーは、すでにそれまでの総合した力を超えたエネルギーを持った、新たなオリジナルな意志として出現してゆく。しかし、その集合体は拡散し、あるいはマイナスへと変質してゆくこともあり得るだろう。それらの魂の集合体を、末永く鎮座させ、プラスへと転換させてゆくための知恵の結晶が、例えば、神社という姿なのではあるまいか。オリジナルな意志を持つこと、そして、それを強烈にアピールした末に自然と共に共生してゆく事、その事が人間の最高の能力なのだと僕は感じる。もしかしたら、現代の神社は、オリジナルな意志をもった人々による会社やバンドなのかもしれない。脈々と続く荒魂のリレーは、今の僕たちにも、そして、これから先も続いてゆくのだ。

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